底辺男性介護士カイトキュンのライフハックブログ

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正しいことばかり言ってらんないよな

こんにちは。

 

1月も中旬になりましたが、一向に雪が降りません。

地面にうっすらと積もることすらありません。

ここまで以上の暖冬が初めてで、ちょっと気がかりですね。

雪かきしなくていいのは大助かりなんですけど。

全てを包み込む雪が降ることは、あるんでしょうか?

ところによっては、春風が吹いていたりするし。

 

ということで、今回はこちら。

 

un88.hatenablog.com

 

僕たちの目に入る形で、白日の歌詞を引きづり出してしまいました。

当然、批判は受け入れます。

 

避けては通れない命題を、今回は考えていきたいと思います。

 

なにを言いたいかと言えば上のどこかの誰かの言っているすべての命は存在するだけで価値があるは間違いだ。

 

この、意見に皆さんは賛同しますか?

賛同しないに決まっていると答える方もいるでしょう。

でも、どんな状況下でもそのような答えが言えるでしょうか?

別に、サバンナまで行けと言っているわけではありません。

 

王様ゲームで、金沢伸明という人が

とあるシーンでこんなセリフを言いました。

年老いた老人と生まれたての赤ん坊の命の重さは同じか?

こんな風なセリフを言いました。

年老いた老人の方よりも、

生まれたての赤ん坊の方を優先しろという話です。

(余命宣告をされた人よりも、

 健康体の人の命を優先しろという話)

彼は、正義のキャラとして活動してきました。

そんな、彼がどうしてこのようなセリフを言ったのでしょうか?

 

トリアージという

より重症な方の治療を軽症の方よりも優先するという

緊急時の対応方法があります。

そういった考え方に基づくと、

余命宣告をされた方の命の方を優先すべきでしょう。

真っ新に生まれ変わって、

人生一から始めることなんて出来ないのだから。

首の皮一枚を繋げないといけません。

 

そのためには、延命治療を行う必要があります。

でも、全ての人がそれを望んでいるのでしょうか?

望んでいない人に対しても、

延命治療を行うのはどうでしょうか?

 

普通は、本人に意思を事前に確認します。

でも、意識がない状態などで、

本人に意思確認出来ない場合があります。

そういった時には、家族に意思確認をすることになります。

 

そこで、問題が起こる場合があります。

それが、家族の意思が本当に本人の意思か?という問題です。

ズレが生じる場合があるのです。

でも、本人確認が出来ない場合はそうするしかありません。

 

中には、多額の年金が入ってくるからという理由で、

延命治療を望む家族さんもいたりします。

 

流石に、その理由は人としてどうよ?

と思うかもしれません。

 

僕の施設では、植物状態になってしまった方がいました。

そのかたは、もう喋ったりすることすら出来ません。

動くことすら出来ません。

何も出来ません。

ただ、延命治療のおかげで生きている状態です。

延命治療によって、生かされている状態です。

食べることすら出来ません。

胃瘻(いろう)という方法で胃に直接、栄養を送っています。

これで、生命のエネルギーをなんとか得ています。

 

こんな状態になってまで、生きるということが

果たして、本当に幸せなのでしょうか?

本当に、本人はそれを望んでいるのでしょうか?

こんな生活に、価値ってあるのかな?

 

そこで提唱されてきたのが、安楽死という選択肢です。

一切の延命治療を行わないという選択肢です。

運命を天に任せる。その時が来たら、その時。

という考え方です。

 

いつものように笑ったまま、終わりたい。

そんな選択肢もあって、いいですよね?

 

もちろん、それを決めるのは

本人です。あなた次第です。

 

ここまでなんだかんだ言いましたが、

正しいことばかり言ってらんないよな。

 

とりま、今出来ることを優先して

もっと人生を謳歌したいなあ〜

なんて思っている。

という風に、結局は後回しになってしまうんだろうな。

今は考えることは放棄するんだろうな。

いつだって、人は鈍感だもの。