底辺男性介護士カイトキュンのライフハックブログ

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底辺男性介護士のカイトキュンが介護に纏わるあれこれを考えていくサイトです。

まだ当たり前に囚われた介護で消耗しているの?

こんにちは。

 

皆さんはドラえもんを知ってますよね。

OPで空を自由に飛びたいなーとかって

歌わなくなったことでも有名なあのドラえもんです。

そのドラえもんにいるのび太くんですが、

テストで0点を取るのがお決まりですよね。

そんなのび太くんが0点を取る確率を

求めた人がいるらしいですよ。

news.yahoo.co.jp

 

60%ですって。

いつも0点しか取っていない

気しかしてませんでしたが、

100%ではないんですね。

 

そういう風に

意外と当たり前だと思っていたことが

当たり前ではなかったりすることがあります。

鎌倉幕府が出来たのが1192年ではなかったように。

(今は1185年説が有力だそうです。)

 

creators.yahoo.co.jp

 

「介護と聞くと、『お世話する』というイメージが強いと思います。例えばおむつを交換するとか、食事の介助をするとか、体を拭くとか。『お世話する』っていうのは、僕の中では、自分の親とか配偶者に対する無償の介護。僕らのようなお金をもらって介護をするプロが、それと同じことだけをやっていていいのか? お世話の代行ではなく、その人らしさを取り戻し、その人らしく最期まで生きられる介護をプロとして提供できるようにしたいんです」

 

 

一見すると、同じように見えるかもしれません。

しかし、実際は同じではありません。

この人には、どのパットが合っているかとか

どれくらいの間隔で交換するのがいいかなどの

判断をきちんと的確に素人は行えるでしょうか?

そもそも、本当にきちんとパットなどが

当たっているでしょうか?

実際にやってみると意外と細かいところで

難しかったりします。

その人に合うように少しアレンジを加えたり

といったことが出来るのがプロではないんでしょうか?

基本的なところでも比べてみると

意外とそう言った違いが見えてくるのではないでしょうか?

 

「老人ホームって、何時から食事、何時からお風呂、何時からトイレに行きますというのが決まっているところが多い。そういうのを全部取っ払って、入居者の個人個人のスケジュールに職員が合わせていくっていうのが新しいと思いました」

 

集団生活である以上、

これらは仕方がないのです。

学校生活とかもそうですよね。

昼食時間じゃないのに

お腹が空いたからと言って

一人だけ弁当を食べ始めたり

と言った行動は認められませんよね。

まあ、立場が変わればいつでも自由行動ができる

のはいいことなんだけど。

 

でも、改めて考えて欲しい。

 

例えば、夜に徘徊してしまうお年寄りがいた場合、それを問題として捉えると「見回りを強化する」「部屋に鍵をかけて出られないようにする」といった対応になる。そうではなく、これをシグナルと捉え、「なぜ徘徊するんだろう?」と突き詰めて考える。すると、見える景色が変わる。本当は昼間に一人で出歩きたいのだけど許されない。だから職員の少ない夜にこっそり出かけているのかもしれない。もしくは、寝付けないから歩いているのかもしれない。それなら、職員の多い昼間に自由に外出してもらえば、夜は疲れてぐっすり眠れる。これは実際にあったケースだという。

 

きちんとこういうことが出来ているだろうか?

必要以上に身体拘束していませんか?

今はそういうのが許される時代では

なくなりつつあります。

 

そこで、提唱されているのが

次世代の介護です。

 

おむつ交換や食事の介助などのお世話をする介護が「1.0」、テクノロジーやICTの導入によって、人材不足の解消、労働環境の改善を目指す介護が「2.0」だとすると、その先にある、その人らしい生活を維持し、一人ひとりの個人と向き合う介護は「3.0」だと考えた。

 

皆さんのところは介護1.0で止まっていませんか?

だからと言って、急いで介護3.0に移行しようとしてもダメです。

介護3.0の前に介護2.0があります。

介護2.0が完全に出来ていないうちに介護3.0に行ったところで

失敗するだけです。

介護2.0を完全に出来てからでないと

介護3.0は出来ません。

 

理想の介護3.0を実現したいのであれば

まずは、介護2.0を完遂させましょう。

そうしないと、次世代の介護なんて

決して実現出来ないでしょう。

 

皆さんのところはどうですか?

まだ、介護1.0で消耗しているの?